イルカの「なごり雪」とちあきなおみの「喝采

ぼくが学生だった頃って、卒業式定番ソングにイルカの「なごり雪」があったのですね。
聴いたことがある人は皆、そう感じると思うのですが、汽車に乗ってどこかに行ってしまう“君”を見送る“僕”の寂しさを表している名曲だと思うのです。

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君はつぶやく
なごり雪も降るときを知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春が来て君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動き始めた汽車の窓に
顔をつけて
君は何か言おうとしている
君のくちびるがさようならと動くことが
こわくて下をむいてた
時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった

で、先日のこと。
たまたま点けていたテレビで、コロッケのものまねが紹介されていたんですね。
コロッケの昔の十八番、ちあきなおみの「喝采」だったんですが、それを観ていて……あれ?
いや、ものまねは別にどうでもいいのですが、気になったのは「喝采」の曲の方なんです。

改めて聴くと、この曲もまた、本当にいいですよね。
不意打ちにこの曲を聴いてしまうと、思わず涙が出てしまうほどの名曲だと思うのです。

いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛びのった
ひなびた町の昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた

つたがからまる 白いカベ
ほそいかげ ながくおとして
ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた
暗い待合室 話すひともないわたしの
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
いつものように 幕が開く
降りそそぐ ライトのその中
それでも わたしは
今日も 恋の歌うたってる

「なごり雪」とは逆にこちらの曲は、見送る“アナタ”を駅に残してひとり汽車で旅立つ“私”の物語になっているんですよね。
つまり、歌の物語世界での状況は、「汽車で旅立つ女性を見送る男性」と、まったく同じものなんですが、それぞれの視点がまったくの反対になっていることに気づいたんです。

それで、フト思っちゃったんですよね。
「なごり雪」の“僕”は、「喝采」の“アナタ”なんじゃないかと。

あれ? そうしたら、歌詞の条件が食い違ってきていない?と思われそうですが、いえいえ。
例えば、「なごり雪」での物語の舞台は、「東京で見る雪はこれが最後ねと」という歌詞から東京であることが判ります。
一方、「喝采」での物語の場所は、「ひなびた町」ということになっています。
全然逆じゃないか、と言われそうですが、そうじゃないんですって。

「なごり雪」の歌詞では、「東京で見る雪はこれが最後」という言い方から、これは何年に一度という雪の降り方ではなくて、もっと普段から雪が降りやすい状況にあるのじゃないかと思うのですね。
つまり東京といっても23区内ではなく、もっと山間部の八王子とか青梅とか、あの辺りではないかと思われるのです。
そうすると、「喝采」での「ひなびた町」という表現も、八王子や青梅のどこかだと考えると、ドンピシャリ当てはまりますよね。
(八王子や青梅の方、スミマセン)

ということで、実はこの2曲は連作となっていて、続けて聴くことで、次のような物語が浮かび上がる仕組みになっているということが判りました。
ミステリの連作短篇集のようなものですな。

歌手を目指している女の子がいる
  ↓
レッスンに通っているうちに段々と垢抜けきて、キレイになる
  ↓
付き合っている彼氏は、彼女に歌手の夢を諦めるよう説得している
  ↓
しかし彼女の決意は固く、遂に別れの日が来る
  ↓
その日は雪が降っている
  ↓
最期までそわそわ落ち着かない彼、しかし諦めきれずに最後まで説得を続ける
  ↓
埒があかないと彼女は動き出した汽車に飛び乗って、お別れ
  ↓
3年後、歌手として歩みだしている彼女のもとに黒いふちどりのある報せが届く
  ↓
それでも歌手の道を選んでいる彼女は「恋の歌」をうたい続ける

おおう、なんというか、連城三紀彦チックだ。