ひょっとこ乱舞「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」(シアタートラム)

またまた中村早香さんやチョウソンハさんにご案内をいただきました。いつもありがとうございます。
そんな訳で、今日はひょっとこ乱舞「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」を観に、三軒茶屋はシアタートラムにゴウ。
ひょっとこ乱舞「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」

受付を済ませ、会場に入ろうとすると、ドアの前でお客様案内をされていた方が突然に、「中橋さまでしょうか」。
え? ぼく? ひょっとして人気者?と勘違いしてニヤニヤ笑いながら「ええ、はい、そうですが」と答えると、「前回は大変失礼致しました」。
いきなり詫びをいただいてしまいました。
アワワワワ、これ、完全に前回のことですよね。
あ、いや、スミマセン、こちらこそ、その、混乱してしまって、アハハ、なんか輩(YA・KA・RA☆)みたいなことになってしまって……と、しどろもどろの顔真っ赤っ赤野郎です。
こちらこそ本当に、本当に、本当に、スミマセン、スミマセン……と、口の中でモゴモゴ言いながら、逃げるように客席に座り込み。
いやー、いつまでも真っ赤な顔がひきません。いや、顔はひきつっています。……って、何を言ってるんだ、ぼくは。

そんなこんなで始まった物語、これはスゴイのですよ、スゴイ。
ストーリーそのものがメビウスの輪のように大きく循環している物語。
終盤のエピソードを冒頭に持ってくることで見え方が180度異なる構成の妙。
観客のイマジネーションを大きくふくらませる小道具の数々。

ひょっとこ乱舞のステージは、いつも舞台セットは最小限にとどめられ、そのかわりにひとつの小道具を様々な角度から使用することで、それぞれのシーンを表すことが多いのですね。
落語家が高座で使う、「扇子」と「手ぬぐい」のよなものでしょうか。
今回は、その重要な小道具として、「固定式電話」と「1人用の小テーブル」が使われていたのです。
この小道具がもう、凄まじく観客のイマジネーションを挑発するのなんの。

固定式電話なんて、これ、携帯電話を表しているのですよ。 もともと携帯電話を使うシーンなんですから、普通に俳優が手持ちの電話でも使えばいいと思うのですね。
ところが、そうした携帯電話だと、どうしてもその“小ささ”ゆえに電話機そのものが目立たないと思うのです。
すると、この携帯電話では物語の展開を担う“鍵”としての存在感があまりにも弱いんです。
そこで、固定式電話ですよ。
存在感があるなんてものじゃありませんって。
違和感がありすぎて注目せざるを得ないほどなんですよ。
ところが……あれ? 物語が進むにつれて、固定式電話機を持っていることに対する違和感は消えていき、その大きさによる存在感だけを感じるようになっているのですね。

1人用小テーブルの使い方だってスゴイんですから。
居間を表したり、居酒屋の和室やフロアを表したり、と本来の机の見せ方だけでなく、窓から見える煙突に見せたり、“監禁”をイメージさせる檻になったり。

舞台上のセットは殆どないがゆえに、小道具を使って、観客に「これでもか」「これでもか」とイマジネーションをふくらまさせて、舞台セットがあるかのように見せてくれるその手法には、いつも驚きと「なるほど!」という爽快感を与えてくれるのですね。

物語そのものにおいては、作・演出である広田淳一さんの優しさが、これまでの作品以上に見え隠れしていたように思えたのでした。
例えば、物語後半になって突然に豹変し、狂気を露にする主人公の青年。
ただし、彼の見せる狂気は、どうも一時的なものであって完全にはイッてしまわないのですね。
だからず、したがって変な方向にも向かうこともないのです。
うーん、そこにちょっと物足りなさを覚えてしまったのでした。
なんというか、主人公が「彼女は、ぼくが守るんだ」というエネルギーが、負に向かったところでの必死さというか、エネルギーそのものというか、そういったものが見えなかったというのか。
しかし逆にいうと、こういう展開で「主人公が完全に狂気に支配されてしまう」というありきたりな展開にしなかったのは、何というのか、それが広田さんの登場人物に対する優しさなのかなーと感じたのですね。
キチガイにしてしまわない、また安易な物語の展開に放りこまない、登場人物への優しさ、みたいなものとでもいうのでしょうか。

また、もうひとつの広田さんの優しさは、俳優の怪我に対する演出の変更点。
主役のひとりである俳優が足を怪我してしまい、通常の演技ができなくなったとのことで、車椅子で登場しているのです。
これについては、開演前に広田さん自身が「車椅子で登場することに何の意味もありません。普通にしていると思ってください」と説明していたのです。
しかし、彼が操る車椅子の動きは非常に自然だったし、なにより、ラストシーンにおける主人公への“救い”が、それまで彼が車椅子に乗っていたことが非常に大きな伏線になっていたのですよね。
こうした「自然体だった」「ラストの“救い”の伏線になった」ことを考えると、彼がもともと「車椅子に乗っている」とした方が、ラストでの感動もより大きく深くなったと思うのです。
きっと「車椅子に乗っている」=「足が不自由である」という設定をすることで、意図していない方向に解釈が傾いてしまい、傷つけてしまう人が出るかもしれないという、これまた広田さんの優しさだったのかと思ったのですね。

とかなんとか、輩(YA・KA・RA☆)ごときがキーキー言っておりますが、その輩もラストでは、もう涙がこぼれて、こぼれて、仕方ありませんでしたよ。
特に、大仕掛けで終わったところには、もう度肝を抜かれてしまいました。
いやー、今回の作品は、これまで見たひょっとこ乱舞の作品のなかでも、かなり傑作の部類に入るのではないかと思うのですよ。
ひょっとこ乱舞「モンキー・チョップ・ブルックナー!!」

と、ここまでを読み返してみると、輩(YA・KA・RA☆)と思われないように、すっげー劇団にヨイショしている腰巾着みたいなエントリーになってしまってる……。