毛皮族「暴れて嫌になる夜の連続」(新宿THEATER/TOPS)

毛皮族「暴れて嫌になる夜の連続」(新宿THEATER/TOPS)

今回、久しぶりに毛皮族の公演を観に、新宿はTHEATER/TOPSへゴウ。
毛皮族は、ここしばらく、公演はまったく観に行っていなかったのですが、今回の案内ハガキが来たとき、場所が「新宿THEATER/TOPS」とあるのを見て、もうすぐ閉鎖されるんだよなあ......と思うと、何だか久しぶりに毛皮族も悪くないぞ、と久しぶりに観に行くことになったのでした。

そんなお久しぶり!な毛皮族ですが......うーん。
相変らず「江本純子と楽しい仲間たち」ではあるのですが、なんというか、華がないんですね。
これまで看板役者だった町田マリーや澤田育子が抜けた穴を埋めるだけの役者がいないんです。
本来であれば、そこを江本純子のカリスマ性がカバーしてもよさそうなところが、久しぶりに見た彼女も、何があったのか、ただの目つきの悪いヒトになっているし。
唯一の救いは、変幻自在の役者である柿丸美智恵の存在感ぐらいでしょうか。
以前だったら、ストーリー展開や演技力は学芸会レベルながらも、それを補ってあまりある「華やかさ」「楽しさ」「パワー」が充満していて、もう何でもありでOK!だったのですね。
しかし今回はそういった「補ってあまりある一切合切」が感じられす、残されたのが学芸会レベルのストーリー展開に演技力という残念なことになってしまっているのです。
ストーリーそのものは連合赤軍を徹底的にパロディ化しているんですね。
例えば、アジテーションが難解かつ早口すぎて言われている方も、おそらく言っている本人も、内容がよく判っていないとか、何かあればすぐに「総括」「自己反省」を要求し、挙句の果てには自分で自分を殴り飛ばすとか。
ただそういったパロディも、既にどこかで見てきたようなものばかりであり、目新しさがないんですね。だからあまりパロディとしても面白くないんです。
もはや過激派の活動をリアルに目の当たりにすることがない今の日本で、江本純子のような世代には、こうした赤軍派のような話は「どこか遠いところでの物語」でしかないと思うのですね。
それだけにパロディ化するにしても、「誰もが思いつくもの」しか出てこないわけで、あまりパワーとなって感じられなかったのかもしれません。
やはり毛皮族のパワー(=リアリティ)は、江本純子のタカラヅカであり、カネであり、下世話な物語だと思うのですが、今回のような形で社会派とくると、「ちょっと背伸びしすぎちゃいましたか」と思わざるを得ませんね......。

どうも毛皮族は、劇場の拡大主義で方向性を見失い、一旦駅前劇場やTHEATER/TOPSという小さなところに戻ってきたのはいいのですが、今度はパワーがダウンしてしまった感が否めません。

毛皮族恒例のニップレスも、出番が少なくなっていて、それ目的でもあったぼくとしては残念に思えるのでした。
だってニップレスのシーンの出てきたのが、最後の最後ですよ。
思わず、「今回はニップレスはないのか?」と違う意味でハラハラさせられちゃいました。
それだけ焦らしに焦らされてラストシーン、ニップレス姿での踊りなのですが、それが「アラビアンナイト」をイメージしているのですよね、あれはきっと。
これが何というか、とてもきれいなんです。
ここでようやく「ダンスのパワー」と「舞の華」が感じられ、いつもの毛皮族に戻ったような、そんな気がしたのでした。
このテンションが最初からずっと続いていればよかったんですけどねえ。

そして終了後の彼女たち、ラストのニップレスアラビアンナイトの格好のままでロビーで物販しているんですよ。
ワオ。
ステージと違って観客と同じ場所に立つからか、とても恥ずかしそうにニップレス姿で立つ彼女たちの前を通るには、ちょっと嬉しい......あ、いや、目のやり場に困ってしまうのでした。

今回は出演していない町田マリーですが、観客として来ていました。
カーテンコールで紹介されるまで全然気付かなかった素の格好の町田マリーさん、メチャクチャ可愛いったらありゃしませんね!