移動する羊 第二回公演「語るのは鼓動」(ピット北/区域)

ポタライブのワークショップで、たまたま、たった1日だけ一緒になった方がいらっしゃいます。
「移動する羊」という劇団を2000年に立ち上げ、主宰として活動されているのだそうです。
「いやあ、その劇団は存じませんでした。不勉強ですみません」と謝ると、「いえいえ、まだ1回しか本公演はやっていませんから」。
どひゃ。

そんな「移動する羊」の第2回公演が、この週末の3日間だけ行われるとご案内いただきました。
移動する羊 第二回公演「語るのは鼓動」
土日は何かとナニですので(何なんだ?)、今日の夜で予約です。
19時30分スタートと遅めの開演時間が設定されていたのですが、いやはや、こんな時に限って、会社では席替えなんてイベントが突発的に起こったりするのですよ。
むぎゅう。

とは言うものの、自分の席にある荷物を、引っ越し先の机に移動させるだけでよいのですが、(しかも新しい席は空席なのでいつでも動ける!)、こんな時に限って今はデスクトップのPCを2台に増やしてしまっているのですよ。
幸いにして、切り替え器を使っているのでモニタやキーボード、マウスは1台分だけで済んでいるのですが、それでも切り替え器から伸びているモニタケーブルやマウスのケーブル、キーボードのケーブルが2台分もニョロニョロしていて、もう大変。
あとはノートPCに携帯の充電器、カメラ電池の充電器、その他訳の判らんものがetc、etc……。
コンセントとLANケーブルと得体の知れないもので、まるでぼくは“亀甲縛りをされた杉本彩状態”。
机の下で「ああーん(はぁと)」と悶絶して、変態オヤジぶりを大全開。
ナニをやっているんだ、オレは。
そんな理由で(どんな理由だ)、会社を出るのがすっかり遅くなってしまいました。

会場はJR王子駅前にある「ピット北/区域」です。
あらかじめ調べておいた地図で見ると、メチャクチャ簡単そうな場所なのに、現地でいきなり迷子ですよ。
「いったいここはどこよ?!」……と駅周辺を歩き回っているうちに刻々と迫る開演時刻(開場時刻ではありません)。
ヤバイのです、激ヤバ。んもう、メチャクチャ焦ってしまいましたよ。

「表でないのなら、裏だな」とようやく気が付き、道路の裏側に回り込んだところで「あったー!」。
みごと予感は的中し、無事に開演時間には間に合ったのでした。
……というか、「あったー」!と歓声を上げる前にも、「本当にここでいいかな……」と不安感を抱かせるほどのアングラスポットだったりするのですが。

今回のステージは、「ミステリー」ということで、どんな内容なのかな……とワクワクドキドキ。
自由席で好きなひな壇に腰を落ち着け、ステージに目をやると、まだ開演していないのに、もう登場人物らしき女性がステージにいますよ。
どうやら作家らしく、原稿用紙に何かを書こうとしてはうまく書けず、悶々としているのです。
これはいいですねー。
少々開演時間がおしてしまったとしても、何だかもう始まっている気分になるのでお客さんはイライラすることなく待つことができます。
……と言っても、開演するまでの間、ずっと演技をし続けなければならないので、俳優さんは大変だとは思うのですが。

そんな訳でいつの間にやら始まったステージ。
やはりステージでずっと悶々としていた女性は、「新進気鋭の若手ミステリ作家」ということでした。
しかし彼女が受賞してデビューできたのは、ほんのたまたまだったようで、もう既にアイデアは枯渇し、書けなくなってしまって悩んでいる……と言う設定のようです。
そこで「自分が実際に殺人を犯してその様子を描く“私小説ミステリ”はどうだろうか」などと考え始め、やがて彼女のモノローグにあわせて登場人物が現れ始めます。
彼ら、登場人物は彼女のモノローグに合わせて自己紹介を始め、そして登場人物も彼女を紹介する……と言うオープニングに、「おお、メタフィクションの予感!」
この先いったい、どんなメタな仕掛けがあるのだろうと、ますますドキドキワクワク。

物語の展開は、細かいパズルのピースのように分割されたシーンがパッチワークのように紡ぎあわされて構成されています。
そのそれぞれのシーンが、微妙に時間軸がズラされており、また別のシーンではそのズラされた時間帯に起こった出来事が描写されるのですね。
ストーリーそのものは、「ミステリー」と名打たれているように、嵐で孤立してしまった屋敷でパーティーの真っ最中、その屋敷の主人が死んでしまうという、いわゆる「嵐の山荘状態」という定番のスタイルです。
細かく分割されたピースのシーンごとに、時間軸が前後しながら、そのときそのときで登場人物の苦悩が浮き彫りにされ、全員が容疑者である、という雰囲気を醸し出していきます。
当然、この細かいピースの中には伏線が張られており、ラストの真相では回収されていきます。

……が!
あれ? ん? んん?
そのまま終わっちゃいましたよ!
メタフィクションの予感を感じさせたオープニングの回収は?
いや、ある意味、ラストで語られる「作家のセリフ」が、ひょっとするとオープニングでメタフィクション的な趣向を示したことへの回収になっているのかもしれません。
えー。
ぼくとしては、もっとかなりメタメタな展開を想像してしまって、ひとりニヤニヤしてしまっていたのですよ。
こんな思いもかけなかった落とし方では、完全消化不良なんです……。

また事件の真相も、いきなりアレがナニしているのです(書いちゃうとモロにオープニングから犯人がバレバレになっちゃうので書けません)。
ミステリのパロディとして用いられるほどのアレが、ナニしているので、ある意味これはレッドヘリングか、はたまたパロディか、いやいやこれがメタミステリとしての確信的行為か……と思いきや、本当にこれが真相。
せめてここで登場人物の一人が「おい、それじゃナニがアレしちゃっているじゃないか!」とツッコミをいれれば、まだメタミステリとしての救い道はあったのですが……いえいえ、そのまま終わっちゃいます。
あるいは、このストーリー自体が彼女の描いた「私小説ミステリ」であれば、確かにミステリ作家としての才能は枯渇している、と言う暗示につながるのですが……うーん、ラストのセリフからはそうとは思えなかったですし。

しかしですよ、すべてを見終わってから「もしかして」。
この舞台のストーリーは“ミステリというジャンル”を借りているだけで、決して“ミステリそのもの”を描いているのではないとしたら。
“ミステリの定番”というガジェットを用いることで、“人間を描いていた”のだとしたら。
なるほど!
そう考えると、ラストの落とし方も十分に納得できますし、また時間軸を微妙にズラしながらパズルのピースのようにシーンを細かく分割した意図も理解できます。
つまりこれは「容疑者を浮かび上がらせる」ための手法ではなく、登場人物のそれぞれが心の内に持っている思いや苦しみをじっくりと描きたかったということなのでしょうか。

面白いもので、これまで新本格ミステリというと、何かと“人間が描けていない”と言われ続け、そのため直木賞も取れないぐらいでした。
しかし今回は、逆に「ミステリ的手法」を取ることで“人間を描き出す”と言った、ある意味大胆な物語を作者は構成したのかもしれませんね。

うーん、最初から「ミステリ」として見ようとしていたので、見事、ドツボに嵌り込んでしまっていたのでした。