劇団、本谷有希子「ファイナルファンタジックスーパーノーフラット」(吉祥寺シアター)

ダブルヘッダーで演劇デイな16日、土曜日という日。
夜は吉祥寺シアターへゴウ。
劇団、本谷有希子が6年前に公演した「ファイナル・ファンタジー」を大幅にリメイクしての再演「ファイナルファンタジックスーパーノーフラット」を観に来ています。
吉祥寺シアター
劇団、本谷有希子は、前作「遭難、」がメチャクチャよかっただけに、今回も非常に期待していたのですが、あれ?
うーん......これはどうしたことなんのでしょうか、まったくストーリーに入り込むことができないのです。
正直、観ているのが苦痛になってしまうぐらいに面白くなく感じてしまうのでした。
うーん、何でしょうねえ、この感覚。
いや、確かにストーリーとしてはよくできているのですよ。
理想の女の面影をいつまででも引きずり続け、現実逃避をする男。
"現実を引き留めるため"に現実逃避をする女。
ルールに縛られた現実世界では生きていけず、逃避するために男のもとに留まり続ける女たち。
女たちはいずれも"現実から逃避する"ために、"非現実世界でのルール"を律儀に守るという矛盾点には気が付かず(あるいは目を向けることなく)、奇妙な共同生活を繰り広げている。
そして、その世界に留まる小説家の女を迎えに現実世界からやってきた夫、そして彼女を慕う後輩の女性作家。
彼らが繰り広げる共同生活の場に、これまで背を向け続けてきた"世間"という現実世界の住人が現れたことから、全体の歯車が徐々に狂ってくる......というストーリーなんです。

物語そのものとしては非常によく構成されています。
悪意に満ちた登場人物たち。
またラストに向かって矛盾点が次々に暴き立てられていくことで、それぞれが保ってきた均衡と自我が崩壊していくあたりのカタストロフィは本谷有希子節全開なのです。

なのに、なぜ面白くなかったのか。
どうやら、ぼくにしてみれば「主軸がハッキリしなかった」ということになるからかもしれません。
きっと"本谷有希子が描きたかったこと"というのがあまりに多かったと思うのですね。
それらをすべてぶち込んで、しかも同じ調子で描いてしまったものだから、軸が何本にもあるように思えてしまったのです。
テーマが絞り込めていない、というわけではありません。
ただ単に「軸」として代弁させる登場人物の存在感が全体的に強すぎて、いったい誰を主軸として見てよいのか判らなくなってしまったのでした。
劇団、本谷有希子『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』(吉祥寺シアター)

ロビーでは、本谷有希子の最新刊『遭難、』が売られていました。
ただし、小説ではなく戯曲だったので「うーん、まあいいか」と思ったところで目についたPOP。

先着20名様にはサイン入りです

もちろん、買ってしまっているぼくがここにいるのですよ。
本谷有希子『遭難、』サイン本

吉祥寺シアターは、駅前からちょっと離れた歓楽街を抜けたところにあるのです。
帰り道にはわざわざそんな歓楽街の真ん中を通ってみましょう。
ほら、夜の蝶のお姉さん方がお客さんをお見送りしていますよ。
カラスなお兄さん方が貴方を誘惑してきますよ。
そんな怪しげな一角の片隅ではニャンコが2匹。
夜な夜な、この場所で繰り広げられる人間どもの世界を何を思ってみているのでしょうか。
吉祥寺の歓楽街に住み着いているニャンコたち

コメント

あれ?じゃあ同じ回見てましたね。運良くキャンセル待ちをGETしました。
6年ぶりの本谷有希子観劇だったのですが、面白く観ました。
つらつら考えてるのですけど、美味しいものをいろいろ食べ過ぎると結局味がよく分からなくなってくる、みたいなことかなー、と思ったりしました☆

今日はポタWS駒場初級篇ですっかり真っ赤になりましたよ~

おお、同じ回を観ていたとは。
確かにキャンセル待ちの方々が多くシアター前にいらっしゃいましたね。
あのなかにRuckyさんがいらっしゃったのでしょうか。
(ちなみにそのとき、シアター前で手ぶれしないように変な格好で写真をバシャバシャ撮りまくっていたので、「アブナイ奴がいる!」と思われていたかもしれません)

6年ぶりというと、まさに「ファイナル・ファンタジー」の初演のときでしょうか。
今回のリメイク版は、ストーリーはまったく悪くないし、キッチリと見せるべきところも見せているので、まさにぼくにとって
> 美味しいものをいろいろ食べ過ぎると結局味がよく分からなくなってくる
状態だったのかもしれません……。
そうですね、ラーメンなんかだといい例えができそうですね。
料理人が「麺や具の素材もいいのを揃えたけど、ダシにも高級素材を使っているから」と、全部の味が同じように出るように料理してしまい、結局はラーメンを食べたのか、チャーシューを食べたのか、メンマを食べたのか、ダシスープを飲んできたのか、よく判らなくなってしまったような、そんな気がします……。

前回までの作品では、彼女の描く「悪意」は方向性がもっと主軸として定まっていたような気がするのですが……うーん、難しいですね。
でも今回は、「現実逃避から逃げ出せよ」と言った、逆説的なセリフが非常に印象に残るステージでもありましたね。

ポタライブのワークショップ、今日はいい天気だったからさぞかし焼けたことでしょうね。どうもお疲れさまでした。
明日は焼けたところがヒリヒリ痛くならないように、ケアを十分になさってくださいね。

掲示板では初めまして。sak*****です。
一日遅れて今日観てきました。私は結構楽しめました。

思うに今回出された料理はラーメンではなくて、ちらし寿司とか混ぜご飯の類だったのでは?ちらし寿司を、はてさて主軸はいしいたけかレンコンなのか錦糸玉か子持ち昆布かやっぱりあなごの切れ端か、とか考えながら食べていたら、そりゃあ美味しくなさそうです。よし俺はあなごを主軸に決めた、あなごだけ味わおうったって、ちらし寿司でそれは無理ですし。

sak*****さん、おはようございます。
(なぜに伏字で(笑))

なるほど、ちらし寿司ですね。
うーん……、でもやっぱりぼくにとってみれば「ちらし寿司」は全体を一気に口に入れてしまうのではなく、エビはエビ、ホタテはホタテと、別々に食べると思うのですね。
で、ノリとか玉子はそのエビやホタテの味を引き立てるためのものであって、さらに「これは玉子」「これはノリ」とまではいかないと思うのです。

しかし今回のステージでは、お口いっぱいにエビもホタテもすべての具を全部一気に詰め込まれて、「さあ、どう? 最高素材をふんだんに使ったチラシ寿司のお味は?」と訊かれたようなものなんですね。
確かにおいしいのかもしれないですけれど、「うーん、何を食べたのかよく結局よく判らないなあ……」となってしまったのかもしれません。

今回の物語では、
 ・「トシローを中心とした構成」
 ・「縞子を中心とした構成」
 ・「夏越を中心とした構成」
 ・「琴音を中心とした構成」
 ・「詠子を中心とした構成」
にくわえて
 ・「ユクを中心とした構成」
という、6つの見方をしてしまっていたのです。
なので、途中からオーバーフローしてしまい、「あれ、どれを中心にみたらいいのだろう?」と混乱してしまって、中身についていくので精一杯になってしまったと思うのですね。
ひょっとすると「第三者の視点」=「神の視点」として描いたのかもしれませんが、それにしても登場人物の思い(主観性)全員が前面に出ていたので、俯瞰して眺めるにはきつかった部分もあるのです。

うーん、やっぱり少数派なんですかねえ、今回のこの作品に対するこのぼくの思いは。
(一緒に観に行った相方にも「全然面白くなかった」と言うと、メチャクチャ驚かれてしまいました)

私もちらし寿司を美味しく頂いてきた派です(笑)

なるほどねぇ・・こんなに深くは考えずに見てきてしまいましたよ。というか毎回そんなに深く考えてなさすぎですよ私(笑)
でもラストがモタモタしたなぁと思っていたんですが
最後の2つのエピソード(夫婦のくだりと・・・あともう一つ何か)がどうしても必要だったのか未だに謎ですが、それぞれの構成をきっちり終らせたかったんでしょうね。で、私はやっぱりトシローとユクの話をメインで観ていたと。
それかあのボールペンのエピソードをどうしても舞台でやりかっただけなのか(笑)

舞台上で現実世界と非現実を区別するのにはあのぐらい盛り込まないと非現実の異物感がでてこないのかな?なんて思ってみたりしたりもしました。

すみません、すみません、本当にへそ曲がりな奴で。
普段は、まったくステージの出来・不出来なんて気にしない人間なんです。
(ポツドールやシベリア少女鉄道も「今回は外れたな」と思っても、その外れそのものを楽しむ派なんですよ)
それがなぜか、今回だけは自分でも驚くぐらいに「面白くない」なんてゴーマンかましてしまっているぼくがいたのです。ビックリしました。
何なんでしょうねえ、自分の頭の悪さ(構成の軸が多すぎて頭がオーバーフローしてしまった)をごまかすために、本谷有希子を攻撃しちゃっているんでしょうかねえ。

でも「現実世界ではうまく生活できない」人間が、「非現実の世界でうまく生きていくために」ルールをしっかり作って守るという矛盾した行動と、その矛盾が暴かれて崩壊していくさまはまさに本谷有希子節だったんです。
だからエピソードとしては必要だったのかもしれません……うーん、やっぱり難しい。

伏字はヒントです。"sa"だとさすがに誰だかわからないので(笑)

最初から、完全6並列ハイビジョン全部撮り、みたいな見方をしていらしたのですか。
うち半分は役名からして覚えちゃいない私には無理(笑)←顔と本名で認識

あ、でも私も全員パラレルに観てはいたんですよ。
ただとくに中心は設定されてないと思って、中心探しをしなかったのと、
ある意味全部本谷有希子!と思うとすごく楽に観れました。
神の視点から見下ろすのではなく、むしろ全員の中にちょっとずつ入っていく感じで。
全員を前面に出したうえで、それを本谷有希子的要素(ってなんだろ、歪んだ自意識?)でゆるやかに繫ぐことで、現実と虚構を区切ることなくうまく地続きにできていたように思います。

二組のラストは、私には共依存の続きを暗示させるかのようにみえて、ちょっと怖かった。
遊園地から出て、うさぎも脱ぎ、世間的には虚構から現実に戻ってhappy endですが、
しかし終わりのない依存関係は、現実世界でも形を変えて永遠に続く、みたいな……

しかし作品の合う合わないって人それぞれですねえ
私は「遭難、」が合わなくて、その時はもう二度と観るまいと誓ったものですが。

確かに「sa」さんではどなたか判らないところでした(笑)。

で、今回の劇団、本谷有希子ですが、saさんのおっしゃるとおり、見方が悪かったのでしょうね。「見てやるぞ」と気合を入れすぎていたと言うのか……。

お芝居って観客の見方がちょっと違うだけで、全然異なった内容になってしまうのですね。
極端な話、席位置が異なって登場人物の顔が見える見えないだけでも印象が変わってしまう恐れもありますね。

本谷有希子の場合は、いつもハッピーエンドのように見えながら、実は救いがないと言うパターンが多いような気がします。
今回、後ろの席に座っていた観客が終了後に「八ッピーエンドでよかったね」と言っていたらしいのですが(相方の情報)、確かに表面上はウサギ耳を外した時点でハッピーエンドのように見えるのですが、ぼくにしてみれば全面的に救いがないんですね。
夫婦が結局どうなるのか、トシローとシマコの関係もどうなるのか、女流作家は小説をモノにできたのか、何一つ暗示もないまま、放りっぱなしで観客を突き放して終わるあたり、誰にも将来がないようにも思わされる、とてもイヤーな終わり方でした。

「遭難、」の場合は、悪意が一方的に「これでもか」「これでもか」と徹底的に描ききっていたのでぼくの中ではストレートに入り込み、そしてあの場合のラストも、一見ハッピーエンドのように見せかけておきながら、「実は何一つ変わっていない」と言うことが暗示され、非常にイヤーな終わり方であったのがぼくにとってはよかったのでした。

いやあ、ホント、見方が変われば印象も変わるのですねー。
もう1回見直せば、こうして整理できた分、ちゃんと見ることができるのかもしれません。