シベリア少女鉄道「永遠かもしれない」(池袋シアターグリーン)

今日はシベリア少女鉄道の新作公演「永遠かもしれない」を観に、池袋はシアターグリーンにレッツ・ゴウ!
うおう、さすがはシベリア少女鉄道、シアターグリーンの前は当日券客で一杯です。
シアターグリーン入口と、公演案内
しかもこの当日券、「出せるか出せないか、ギリギリまで待ってから判断」という非常にキワキワの状況らしく、「もうちょっとしたら入場できるかどうか判りますのでお待ちください」などとアナウンスされていましたよ。
しかもこの当日券の席は、「座布団席」などと呼ばれていました。
名前だけ聞くと、桟敷席でもあるような気がしますが、要は通路に座布団を敷いて(自分で)座る「通路席」のことでした。
座布団もペラッペラの薄い布団だったので、まさかあんな長丁場になるとは思っていなかった今回の公演、「座布団席」は拷問に等しかったのではないでしょうか。
(痔持ちの人はもう大流血騒ぎになってしまいそうですよ!)

さて今回の舞台は、セットがかなりシンプルです。
「お笑いステージ」のような舞台に、スタンドマイクが一本立っているだけ。
いつもであれば、ラストでそれまで進められてきた物語を一気に破壊する仕掛けのため、セットにもかなりのこだわりを見せるシベリア少女鉄道のはずなのです。
それが、このあまりのあっさりしたセットに「大丈夫かな......」と不安になってきました。

通路席まで満員になった客を誘導するのに時間が掛かったのか、10分押しで開幕しました。
舞台上のセットは、やはりどこかのお笑いステージでした。
しかも、大きな賞金が掛かっている大きな大会のようです。
そんな大ステージで、本番前に佇み、何かを思うお笑い芸人の主人公。
彼には、かつて事故を起こして相方や恋人、そして姉を亡くしていた過去があり、未だにその傷を引きずっている一面もあるようです。
そんな彼を見守り、そして何らかの感情を持つようにも見える元・相方の妹。
また何とか元気づけようとテンションをあげる現・相方。
そして、彼にだけは見える死んでしまった相方や恋人、姉。
こうして物語は笑いを起こすこともなく、静かに、淡々と進められていくのです。
そこでは、そのお笑い芸人がどれほど漫才を愛しているかが切々と語られ、そしてとあるタイムリミットがあることも、観客に知らされます。
やがて「お笑いのステージ」は本番を迎え、いよいよ彼らの漫才が始まったのですが......

いきなり出たーっ!

いつものシベリア少女鉄道であれば、最初の1時間30分はただ延々とラスト数十分のための壮大なネタ振りに過ぎないはずなのに、いえいえ、今回は違いました。
いきなりの大技が炸裂ですよ!
......いや、違いました!
大技と思わせておいて、まだまだ繰り出されてくる"さらなる"大技。
そしてそんな"大技"が「これでもか」「これでもか」と止めどもなく、次々と展開してくるにあたり、観客はただ、ただ、爆笑しながら付いていくしかありません。
これはスゴイことですよ、役者の体力勝負であり、観客の集中力勝負。
役者対観客のガチンコ勝負です。
お互い、どちらが先にギブアップするかの持久戦。

ステージ上ではもはやドンドンと大風呂敷が広がる一方で、観客はついて行くので精一杯。
この風呂敷の広げようがまた、途方もなく、もはや着地点が見えなくなってきました。
いや、ある程度「こう来るのだろうな」と着地方法は予想が付くのですが、それをいったいどのようにして落とすのか、まったく想像がつかないのです。

そしてサザエさんのエンディングが流れ始め、それにあわせて!
ああ! シベリア少女鉄道が! やっちゃってます!
そして延々とエンドロールが続くなか、ついにタイムリミットは訪れてしまい......

あああっっっ! こんな着地方法って! ありですか!

場内からは期せずして拍手が起こりました。
それぐらいにすばらしい奇跡の終わり方なのでした。
シベリア少女鉄道の物語は、いつもラストが唐突に訪れ、カーテンコールもないので、観客は拍手をするタイミングを失ってしまい、消化不良感だけが残るのですが、今回だけはその「奇跡のエンディング」に拍手で大盛りあがりしたタイミングでの終了で、大満足で見終わった感が充実したのでした。

時計を観ると、ええ?! もう22時?!
2時間半ですか。
こんな長丁場の舞台は、シベリア少女鉄道では初めてではないのでしょうか。
しかし、その「わずか」2時間半でタイトル通り"永遠"を力技で描写してしまった今回の作品は、本当にスゴイと感嘆せざるを得ません。

また、いつもであれば登場する俳優たちに演技力がまったく感じさせられないず、そのため、「演劇」というよりも演出家が行っている「ゲーム」のような印象を受ける舞台だったのですが、いやあ、十分にやろうとすればできるのではないですか、お芝居。
特に、現在の相方役であった女の子は、出始めた頃の以前に比べても、今回の演技は抜群に力が出てきたのではないかと思うのです。スゴイよ、スゴイ!
全体的に多い長まわしのセリフ、ひとつ言い間違えるだけですべてがぶち壊しになってしまうパズルのシーンなど、挙げていけば数限りないシーンを、役者たちは驚異的なテンションを保ちながらこなしていったのでした。
それだけでも脱帽です。

前回の公演では「物語の破壊」をテーマにしていたのですが、今回はある意味、「物語の再構築」と180度、別の方向からアプローチを試み、またアプローチ方法そのものもまったく異なったスタイルで行うあたりがシベリア少女鉄道らしい「おバカ作品」として、大成功したのではないかと思うのです。
シベリア少女鉄道「永遠かもしれない」(池袋シアターグリーン)

コメント

うあー! 盛り上がるシベリア少女鉄道、夢のようだ!
近頃観劇をサボっていることを後悔されられるエントリーでした。悔しいです。

いやあ、前回・今回とシベリア少女鉄道は傑作が続いていますよ。
本文でも書きましたが、前回が物語の破壊とすると、今回は物語の再構築。
まったく違うアプローチながらも「おバカ節全開」で、前回とは違う意味で客席が大盛り上がりになったラストでした。
今回は役者陣も非常によく、悪い点が何もなかったのではないかと思えるできばえだったと思います。
またチラシにも伏線が張りまくりすぎで、そのあたりもシベ少らしさが光っていたのでした。

次回はぜひ……と言いたいところですが、非常に当たり外れがある劇団ですから、オススメが難しいところです(笑)。

「天まで届け」~「ここでキスして。」まではきちんと見てたんですよ!?
うあー、くやしー。

うわあ!・・・何がなんだかわからないけどうらやましすぎるおもしろそさげすぎる・・・!!
シベ少、結局関西にはあの一回だけ来ただけで、なんだかまた来る気配がなくなってしまいました。。。まぁ年に一回でも来てくれたら・・・いや、私が行くべきなのか・・・うーん。(←まさにあたりはずれの激しそうな感じに毎回くじけ気味)

奥海さん! なんとまあ、もったいないことを。
しかしよくぞ「天まで届け」から観られましたね。
相方の友だちで演劇好きがいるのですが、我々のオススメに誘われて初めて観たのが「天まで届け」でした。
その友人は二度とシベ少には行かなくなりました……。

ぼくがシベ少を毎回楽しむコツは以下の点ですね。
 ・毎回必ずチケットをとる(当たりがあるかもしれない)
 ・初日から欠かさず評判をチェックする
  (体質に合わなかった人がボロカスに書いているので、不完成点が見える)
 ・不完成の点をなるべく大げさに思い浮かべながら実際に観に行く
 ・実際に観てみると、全然大したことではなく見えてくる
 ・ネタが面白く見えてくる

これはシベ少に限らず、当たり外れが大きい劇団であればどこでも当てはめられるメソッドですね(笑)。
ぜひともご活用ください!

うひゃあ、chietheさん、お返事が遅れましてすみません。

もう終わったのでネタバレしちゃうと、ラストはサザエさんが忠臣蔵……いや、忠臣蔵ががサザエさんなのでした。
……って余計に訳が判らなくなってしまいますね。すみません。
でもこれがもうツボで、観た人は必ず思い出し笑いしてしまうという奇跡のエンディングなのでした。

でも唯一の関西公演でchietheさんがご覧になった「残酷な神が支配する」がやっぱり「シベ少らしいな」と感嘆してしまう大傑作だったと思います。
だって、物語を支配していたのは猪木という神で舞台セットの回り方も彼の闘魂パンチひとつで決まってしまうのでしたから……。
あ、これもまた思い出し笑いが……。

「天まで届け」を見ていたく感動したところがご友人と異なる部分かもしれませぬ(笑)。

考えてみれば、「シベリア少女鉄道」という劇団の目指すバカバカしさを、観客は「バッカだねえ」と笑ってしまうか、怒ってしまうか、両極端にどちらかなのでしょうね。
笑ってしまう人は、オチとそこに至るまでの壮大な前振りのギャップに「そうくるか」と感動させられるのでしょう。
逆に怒ってしまう人は、壮大な前振りを真剣に見続けてきたことに対する裏切りと思ってしまうのかもしれませんね。

しかしこの劇団のネタだけは見て貰わないと判らないだろうし、やっぱりシベリア少女鉄道を他人にお勧めするのは難しいことです(笑)。

麻耶雄嵩が好きかどうかということかもしれないですね。大好きです。

なるほど、麻耶雄嵩とは言いえて妙ですね。
考えてみれば、麻耶雄嵩も「物語(あるいは物語のもつお約束)の解体」と「再構築」を常にテーマとして取り組み続けているような気がします。
デビュー作の『翼ある闇』からして既にイッちゃってましたし、『夏と冬の奏鳴曲』なんてもう一読しただけではすべてを理解することは不可能ですからね。

ただ、麻耶雄嵩の「解体」はあくまで「本人のミステリ感を表すための手段」として用いているのに対して、シベリア少女鉄道の「解体」は「メタフィクションを導入することでどんなシリアスな悲劇もスラップスティックにできるんだぜ」という意気込みが感じられます。

……あ、と言うことは、麻耶雄嵩よりも筒井康隆のメタフィクションをテーマにした物語
(『虚人たち』『虚構船団』『残像に口紅を』『朝のガスパール』など)の方が近いのかもしれません。

朝から自動筆記状態で書いてしまっているので、かなり適当なこと言ってます。