何だかすごそうなのですが、本当にすごいのでしょうか

新刊本がズラリと並べてある平台をじっくり、ゆっくり、見てまわるのが好きなのです。
そんな訳で今日も目の保養にとブラーリブラーリ。
しかし何といってもやっぱり平台は激戦区。
目立たせたもん勝ちなんですね。

そんな中、異色の光を放っていたのがこの一冊、伊藤昌洋『血染めの銭洗弁天』(作品社)
何といってもその帯にもう目線は釘付けなんです。
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寺尾聰氏推薦!

て、て、て、寺尾聰ですか!
帯に有名人の名前を出して目を引くと言うパターンは昔からありがちなのですが、それでもある程度その本や本のジャンルと関係性がありそうな人を使うと思うのですね。
なのに、寺尾聰。
ミステリーなのに寺尾聰。
何ゆえ、寺尾聰?

いや、ひょっとするとこれは大きな叙述トリックなのかもしれません。
この帯に書かれた「寺尾聰氏」は「寺尾聰 氏」ではなく、「寺尾聰氏」と言う名前なのです!
そう!「足利尊氏」のような名前なんですよ!
つまり、書店内のあちこちで張り出された『博士の愛した数式』や(ちょっと古いけど)『半落ち』の映画ポスターに目をくらまされてすっかり「寺尾聰」を刷り込まれた我々に、さりげなく「寺尾聰氏」氏の名前を出ぜば、「おお! これはあの博士が愛した小説なのだな」と錯覚するに違いないのです。
ぼくの頭の中でもすっかり、“水爆に跨ったままB52から投下された寺尾聰が『血染めの銭洗弁天』を読みふけっている”イメージが埋め込まれてしまいましたもん。
(↑相変わらず『博士の異常な愛情』とゴッチャになっている模様)

ところで、その「寺尾聰氏」氏っていったい誰よ?