燐光群「上演されなかった三人姉妹」(紀伊國屋ホール)

今日は新宿は紀伊國屋ホールまで、燐光群「上演されなかった三人姉妹」を観に行ってきました。
根底に流れるテーマは、タイトルどおり、チェーホフの「三人姉妹」なのですが、それが「上演されなかった」という点がミソ。
2002年にモスクワの劇場がチェチェン武装勢力に占拠され、最終的には170名もの死者を出してしまった事件が下敷になっています。
つまり、ステージ上ではこれからまさに「三人姉妹」が演じられようとしてたその矢先に、武装勢力が乱入し、劇場を占拠してしまったというストーリーなのです。
そのため、今回は劇場内の客席前半分をつぶしていました。
会場に入った当初は、「なんだ、客席の半分も埋まってないやん」と思っていたのですが、やがてこれも演出の1つだと判ったとたんに「スッゲー」
現金なヤツなんです。
この“客席も舞台空間とする演出”の狙いとしては、おそらく「ステージ」という物語の虚構世界に、「客席」という人質たちの現実世界の2つの枠組みを用意することだと思うのですね。
ところがこの2つの枠組みが、「三人姉妹」のストーリーである「砲兵隊の士官との交流」と言った点を媒介として融解していき、遂には枠組みを越えてしまうというメタな手法をとっているのです。
「客席も舞台」という、かなり思いきった実験的な手法な演出には、もうシビレっぱなしだったのでした。

ただし、いくら虚構世界となる「ステージ」とは別に、現実世界である「客席」を用意したとしても、やっぱりそこは「ステージ」なんですね。
我々観客には触れることのできない、虚構世界なのです。
「本当の観客側(=“本当の”現実世界)」は依然としてそこにあり、いくら実験の手法として、「ステージ」と「客席」の枠組みを取っ払うメタな手法をとろうとも、「向こう側の世界だけでの融合」ということで、中途半端な印象は拭えません。
そんな訳で、どうせならいっそのこと、劇場内の客席全体をステージとしてしまえばよかったのになあ……と思うのですね。
例えば。
本来の観客に混じって、最初から人質役の人物が座っているとか、観客も人質となってゾロゾロと歩かされ、舞台裏とかに連れて行かれ、そこで行われる芝居も観られるとか。
どうせなら、そこまで思い切ったリアリティを出してもよかったのではないかと思うのです。
燐光群「上演されなかった三人姉妹」(紀伊國屋ホール)